大野島発祥の地
更新日:2021年01月27日
大野島は、もともと海だったところに洲ができて島になったと伝えられており、以前は釜蓋島や浮島と呼ばれた無人島でした。慶長6年(1601)、田中吉政が柳川城主になったとき、津村の庄屋だった津村三郎左衛門によって開拓が進められました。そのときの同志は7軒だったと言われています。
彼らは、はじめに釜蓋島の周辺を拓くとともに、大角島、武古津(潟島)、駕篭口島(内開)という三つの拠点をつくり、拠点の周囲の葦野を鍬鎌一本で切り開いて土居を築きながら開拓を進めました。数年に一度の災害で土居は壊れ、それを新たに築き直すといったことを繰り返し、祖先の人々は命がけの苦労をしながら次第に開拓地を広げていったそうです。
大野島に人々が移り住み始めたのは元和2年(1616)頃からだと言われています。
明治維新前は、島の上手が北大野島村、下天が南大野島村に分かれていましたが、明治9年(1876)に両村が合併して大野島村となり、大野島発祥の地を記念した碑が建立されました。
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