清力美術館 収蔵作品紹介
更新日:2020年05月23日
収蔵作品紹介1 溝江勘二「家族」
作者 溝江勘二
作品名 家族
制作年 1934年
サイズ F80号(1,455×1,120)
作者について
溝江勘二(みぞえかんじ) 1909年~2001年。
福岡県三潴郡田口村(現・大川市)生まれ。中学伝習館を卒業後、画家を志して上京。本郷洋画研究所や橋本八百二の書生を務めながら、同舟舎で油絵を学びます。光風会展、第一美術協会展等に精力的に出品し、次々と入選、入賞を重ね、22歳のころ「鮭」(柳川・御花所蔵)で、帝展初入選を果たしています。その後、日展会員・光風会名誉会員として活躍し、91歳で息を引き取るまで画業を全う。数多くの作品を残しています。
作品について
「家族」は、溝江勘二が24歳のころに描いた作品です。もとは「貧しき家族」という題で発表され、モデルは妻と近所の子どもとされています。
収蔵作品紹介2 松林千里「鞆の浦」
作者 松林千里
作品名 鞆の浦
制作年 1916年
サイズ 17.5センチ×25.5センチ
作者について
松林千里(まつばやしちさと) 1883年~1967年。
1883年、現在の久留米市荘島生まれ。母は有馬藩(久留米藩)の御用絵師を勤めた三谷友林(1819~1864年)の娘で、松林千里は幼い頃から祖父に日本画を学ぶなど、絵に自然と親しむ環境で育ちました。中学修猷館を経て、1903年には東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科本科に入学。黒田清輝に師事し、在学中に出品した白馬会展では連続入選を果たしています。卒業後は教育者の道を選び、大正初期には三浦半島の風景に魅せられ神奈川県の三崎町(現・三浦市)に移住。高校で美術を教えながら、1946年に美術サークル「丹青会」を設立し、その後、三崎文化連盟を立ち上げるなど地域の文化発展に力を注ぎました。
作品について
「鞆の浦」は、大阪府や広島県など1府10県にまたがり、国内でもっとも広いとされる国立公園「瀬戸内海国立公園」の一部にある海に囲まれた「鞆の浦」(広島県福山市)を描いた作品であると考えられます。ある晴れた日の美しい景観と古い町並みが残る景勝地の様子が描かれています。
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