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市長のplus+1 7月

更新日:2019年7月17日

 みなさま、こんにちは。大川市長の倉重良一です。  
 観測史上最も遅い梅雨入りとなった令和元年ですが、7月に入り、九州南部では大雨による被害が発生いたしました。被災された方々には衷心よりお見舞いを申し上げます。一方、大川市を含む九州北部では例年より雨が少なく、気温もそれほど高くなっていないようです。関東では、日照時間の短さから野菜の生育に影響が出ているとの報道があり、改めて、南北に長い列島と昨今の「局地的」に変化する気象状況を感じております。7月下旬には梅雨明けするのでしょうが、昨年の夏のような酷暑とならないよう願います。    

 7月13日(土曜日)に、文化センター大ホールにて、「溝江勘二画伯生誕110周年記念式典」及び「第21回溝江勘二顕彰スケッチ大会表彰式」が行われました。溝江勘二画伯は、明治42年に旧田口村で生まれ、中学伝習館を卒業後、上京され、後に日展審査員となられ、2001年91歳で永眠されるまでわが国画壇の一線で活躍された方です。この溝江勘二画伯を顕彰しようとPTA、学校関係者をはじめ、地元の方々が顕彰会を立ち上げ、20年以上にわたって運営を続けて来られました。  
 今回、生誕110周年ということで、記念式典がスケッチ大会の表彰式と併せて開催されました。田口小学校を中心に約270名の小学生が参加し、当日は表彰を受ける子どもたちが来場していました。子どもたちは、記念式典の後に行われた清力美術館の弥永館長の講演もしっかり聞いていましたが、ステージで表彰されるときの笑顔が最高でした。  
 溝江勘二画伯の画風は、写実的な時代からキュビズム・フォービズムの影響を受けた時代へ、また、色彩も黒を特徴としたものから明るい色彩へと、時代とともに変遷していったとのことです。第12回帝展で初入選した「鮭」を描いた二十歳位の頃(1930年ころ)は、「死んでもいい」という思いで筆をとっておられたそうですが、戦後は、「一つ覚え二つ覚えで長生きして一つのものを完成させるというのが本当の画家なのではないか」との信念を抱くようになったそうです。そんな画伯は、晩年大川に帰郷し、子どもたちに向けて、「自分は中学時代には画家になると決めていた。目標をもって諦めずに努力を続けてほしい」と伝えられたそうです。  
 奇しくも大川が生んだ偉大な作曲家古賀政男と同時期に大川で生まれた画伯。市民の誇りとして、子どもたちが芸術を身近に感じてくれればと思います。

 7月9日(火曜日)には、「第69回“社会を明るくする運動”大川市推進大会」と共催で「令和元年度大川市青少年育成市民大会」が開催されました。市内の中高生5名が弁論を発表し、「大人になることについて」「改元を契機に自分の言動を見直す」「AIとの共生」「夢への努力の大切さ」「命の大切さと将来の夢」という内容で、若い感性と思いをマイクにぶつけてくれました。正直なところ、自分が中学生の頃を考えると大勢の前で、こんなにも堂々とは話せなかったなぁと感心しきりでした。それぞれの思いや考えを理路整然と前を向いて話す姿に感動しました。  
 また、今回初の試みとして、弁論者と市長とのトークセッションを実施しました。30分という短い時間でしたが、将来の夢、今の悩みやそれを乗り越える話、交通の利便性向上や公園整備など率直な市への要望も自分の言葉で話してくれました。私からは、中学時代に人を傷つけるような言動をしたことを後々まで後悔し続けたことや感動する力が強い今の時期を大切にしてほしいことなどを伝えました。質問タイムでは、「クラシック音楽は好きですか」などあり、私にとっても楽しいひと時となりました。
 もっともっと若い人たちが希望をもって進んでいける環境を整えたいとの思いを新たにし、子どもたちからもたくさんのことを学ばせてもらえることを改めて感じた時間でした。

 

  • スケッチ.JPGの画像

    溝江勘二顕彰スケッチ大会表彰式

  • ベンロン.JPGの画像

    トークセッション(大川市青少年育成市民大会)

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